アメリカンまたたび

3年半のアメリカの大学生活を終えて日本に本帰国した23歳女の戯言

渡米5ヶ月経ち、学期が終わるにつれて思うこと

昨日のブログにも書いたとおり、テストがほぼ終わって学期も明日カウンセリングとテスト免除のためのサインアップにさえ行けば終わりなんで、この学期を日米の教育スタイルの違いに焦点を置いて自分の考えとかを述べていきます。

7月の終わりにアメリカに来てから、もう5ヶ月。早いようでなんだかクソ長げーなあっていうなんとも微妙な心境。

この5ヶ月間は住んでいる町と学校がある町以外本当にどこにも行かずに引きこもりっぱなしでドラマ見たり、課題をせっせとやったりでしたな。たぶんこれからもずっとそうだと思う。
一応全米屈指のパーティタウンっぽいけど、なんかもう大勢でがやがやすんの嫌いだし、人見知りなもんで。
なんだか「留学」っていうとパーティとか国際交流とか連想される方多いと思いますが、こんな引きこもり系日本人学生もいるんだってことも覚えておいてもらえたら(笑)

前置きはこの辺にして、本題に。

前にも書いたとおり、私はカリフォルニア州の内陸にあるコミュニティカレッジに行っています。
そこに5ヶ月間通って、「あーこれは日本では経験してこなかった勉強方法だな」「これはいい」、逆に「これはこれでいいのか」って思ったもの、ポジティブ・ネガティブな面の両方についてまあ散文になるのを承知で書いていきます。

ポジティブな面

1. とにかくエッセイやペーパー(日本の大学でいうところのレポートかな)の量が多い
2. 自分の意見をしっかり書けと言われる(それがなかったら点数は引かれる)
3. 一つのエッセイやペーパーを仕上げるために、何度も何度も添削やチェックをしてもらい、その都度直して直して、最終的には最高な物を作り上げる。

今学期はとにかく書きに書いて書きまくりました、その分、Readingの課題がほとんどなかったので(あったとしても、その文章を読んだ上でその文章に対するCritical Responceを書けっていうのが課題になる)、書く力ばかり増大して読むことがかなりおろそかになった気がする。でもそれなりにハードでチャレンジングな文章を読まされ、泣きべそかきながら必死に読んだので、渡米前よりはマシだと思います。

書く課題で重視されたのが、「自分の意見をしっかりかくこと」「授業で学んだことを用いながら書くこと」でした。
要は授業で学んだことをアウトプットしながら、自分の考える視点をそれぞれ述べて、最終的には自分の意見をしっかり書くんだよってことですね。

こういうことは日本の学校教育ではなされないんじゃないかって思いがちなんですが、私は高校のときにがちがちに仕込まれました。だからアメリカに来ても、普通にこなすことが出来、あなたのエッセイは素晴らしいって先生たちに褒めてもらえるんだなって思った。
あのころは自分の意見を書くという習慣がないうえに、そういった経験をしてこなかったんですごく辛かったのを覚えています。「ゆうきの文章は説明であって、意見じゃない」って耳が痛くなるほど現代文の先生に指摘され、何度も何度も文章を書いたのを思い出しました。
そして、その時に何度も何度も呪文のように叩き込まれたことは、「非人間的に考えなさい」ってこと。自分の感情を徹して、「非人間的」に考えて文章を書きなさいと。
「非人間的」って言うのは、なんでそうなったのか、時代背景はどうなのか、どういった人が絡んで、どういう風になって、はい、あなたはこの結果どう思うのかってこと。
こうやって考える習慣がついてのも、アメリカに来て役に立ったスキルの一つ。まさに感情を廃して、自分の意見をCriticalに述べることが求められるので。

こういった教育が受けられたのは、まあとても特殊な環境だったのが大きかったのかもしれませんけど。

なので、高校時代の教育への大感謝と、自分の意見をしっかりと確立させることの重要性を痛感した4ヶ月間でした。(先生にお礼のメールを送らないと…)

アメリカに来て思いましたが、自分の意見がなんも言えない・書けないとほんとクソな気分になりますね。もう泣きたくなる(笑)
自分の意見を述べるということは基礎の基礎なんで、それがないとなんも前に進まないんですよ。
まず与えられたトピックに対してなんも思い浮かばないとつらい。
だから、反射的にぱっといろんな考えを思い浮かべることってエッセイを書くだけじゃなくて、働くようになってからもものすごく大事なことなんだろうなって思うわけです。

例えば、英語の授業でPsychological diagnosis(精神医学の診断方法)に関する文章を読み、そしてこれについて書きなさいっていうペーパーの課題がありました。(なにを書くかは自分次第)
いやはやもう最初は意味不明ですよ。精神医学なんかやったことないですもん。完全に未知の世界。考えに考えて、Psychological diagnosisとInformation Technologyの関係性とその歩みについて書きました。読んだ文章の時代背景が30年前だったので、そのころのIT環境と診断方法を調べ、今との比較。今は精神系の病気を調べるオンライン上のテストがかなり充実していることがわかりました。
これはかなり時間がかかって、毎日のように先生にアドバイスもらって、Writing Centerで文法のチェックをもらうっていうのを繰り返してたんでexcellentもらえたのでいいっちゃいいんですが、反射的な訓練が大事だなって思いました。

この段階的にエッセイを仕上げるっていうことなんですが、この感覚がアメリカに来たばっかのころは本当になくて、一種のカルチャーショックでしたね。
今までの感覚的に、
まず自分で文章を書く→文法を見てもらう→提出
だったわけです。
でもアメリカ(わたしのコミュカレでは(ほかは知らないです))では、
まず自分で文章を1日から2日でベースとなるものを仕上げる→先生に見せて、内容がアップグレードできるようなアドバイスを貰う→アドバイスをもとに直す→文法を見てもらう→また先生に見せる→直す→文法チェック→(これをあと5回くらいやる)→提出

いやあ長いっすねえ。長かった。でもなんだか楽しかったですね。これをやらないとライティングのスキルは上達しないなって思いました。何回もダメな点を直しに直しまくるから。

いつも勉強を見てくれるロシア人のスタッフの人に言われたことなんですが、
「あなたは内容のグレードアップと文法のチェックを同時にやろうとしてる気がする。あなたの国ではそういうふうにやってるのかもしれないけど、英語ではこれらは別物だから、きちんと別にして作業することが大事だよ」と。
このスタッフの方は英語の修士をもってるとかなんとかでネイティブ並みに英語を使いこなしてて、とても信用できるんで週2で勉強を見てもらってました。
たしかに、誰かに文章を見てもらうときって同時進行だったなあ。いろいろ文化の違いを感じました。

日本の大学って一概には言えないですし、回生によってもいろんな差があると思うんですが、
日本の大学の一般教養の授業って「自分の意見を確立させる」っていうことをしないなあって思うんです。(ゼミの授業とかではあるのかもしれないけど、1回生のときからやっていったらいいと私は思うんですよ。そもそもゼミがどんなのか知らないもんで)
300人くらいの大きな教室で、ひたすら先生の講義を聴く。まあ別に寝てても構わないし、スマホで写メ撮って、「授業だるい〜」とかFacebookにあげててもなんも不思議ではないという。
課題もほとんどなかったしな。テストはコンセプトの説明くらいだったし。
論文とかレポートを書く際にかなり大事なことになってくるだろうから、毎週毎週小論文でも課題にすればいいのになあっても思ったりします。



じゃあ次に。

ネガティブな面

1. とにかく課題の量がコミュカレいえども尋常ではないので、ほかに何か勉強したくなってもそういう余裕がない
2. (これはコミュカレに限った話かもしれないが)学生のレベルはそこまでなんで、アカデミックな刺激をし合える仲間を見つけるのは大変かも

日本の大学生時代、わたしは暇を究めすぎて本を大量に読んでました。とにかくいろんなことに興味を持っては、その都度Amazonで何冊か本を買うってことを日常的にしてましたね。
なんだかもうそれがある種の習慣となっているので、なんか他に勉強をしたくなっても本当に余裕がないんですよね。気がついたらペーパーの締め切り迫ってるっていう。

確かに、余裕がなくて、張りつめた感じで常に勉強するっていうのも大事なことなんだろうけど、もう少し勉強をする自由が欲しいなとは思った。まあこれをやるのは大学院とかなんですかねー。
でもそのぶん、4ヶ月の間は登録した授業をきわめることが求められてるのかなとは感じました。

おそらく4年制の大学に行けば違うんだろうけど、学生の質って大事なんですねえ。
この人、今まで何を勉強してきたんだろうって思うことがしばしばあった。
学生同士でお互いに刺激し合って勉強するって、その人の能力を上げることでものすごく大事になるのかなって思ったりするけど、なんだか実感がわかずに一人でせっせと課題をやる今学期でした。

いろいろごたごた書きましたが、まあ今学期思ったことはこんな感じです。
日本の大学を中途半端に辞めて、ここに来たわけですが、半々ですね。
文章は大量に書けるようになったし、書く内容もかなりまともになった。この経験はとてもよかったです。一つの学問に縛られずに、いろんな学問を勉強できたのもよかったです。こんな世界があるのかーって視野が広がった気がする。
ただやっぱりもっと国際関係学を学びたかったなっていう心残りがややある。Facebookで京都時代の友達の近況を見てるとうらやましいなあってもなるし。(隣の芝は青く見えるってことか)

ただ、これは自分の決断だし、ここでやらないといけないことも大量にあるので、あと一年はこの僻地で引きこもり系日本人学生をやっていきます。

クリスマスに日本に帰ります。
クリスマスは毎年一人で公共交通機関にいる人間です。笑
今年は友達と一緒だけど。
日本では友達に会ったり、成人式に出たり、Twでも何人かとお会いする約束したのでいろいろと楽しみです。

そいでは。