アメリカンまたたび

3年半のアメリカの大学生活を終えて日本に本帰国した23歳女の戯言

自分の専門外のことも勉強してアメリカ留学した結果、自分の専門が何なのか分からなくなった話

留学終わった後の戯言シリーズです。

昨日、かなりショッキングなことがあって、この三連休は号泣その疲れでてんてこ舞いだった。実家に帰ってずっと部屋でボーッとしていた。溜まっていた作業をやるつもりの三連休だったが、なにも手がつけられなくなるくらい精神的に参ってしまっていた。

そんなことは置いておいて、ブログを書く気分になったので、表題の話をしようと思う。

いま、わたしは自分の専門がなんなのかがわからなくて放浪としてる。

たかが学部を出たくらいで、専門などとほざくのは、フォロワーの大学院生の皆さまや大学の先生方にとても失礼なのは重々承知である。

具体的に言えば、わたしはどんな勉強に熱中できるのかがわからなくなってる。どんなことを専門に仕事をこれからの人生でやっていくのかがとても分からない。

そもそもわたしが日本の大学を辞めてまで、アメリカの大学に行ったのは、自分の専門外のことも自由に勉強するためであった。

専門バカになりたくないと思って、いろいろな分野のことを勉強し、それを自分の専門を学ぶときに幅広い視野で見られるようにするためだった。

それができるのがアメリカのフレキシブルな大学教育だった。18歳の時のわたしはそれに惹かれたのだった。

だから自分の留学の当初の目的はある意味で達成しているのである。

大学では浅く広くITとジャーナリズムの基礎を勉強した。いろんなスキルを身につけたくて、PhotoshopとFinalCutProも初心者レベルではあるが使えるようにはなった。

大量にペーパーを書いた。毎週ペーパー地獄だった。おかげで英語を書くことに何のためらいもなくなり、数十分で与えられたテーマに対して自分の意見を500ワード程度でスラスラ書けるようにもなった。留学初期にはこれができなかったので、ある意味進歩だ。

ジャーナリズムのクラスでの取材活動を通して、人の話を聞いてそれを媒体にすることの素晴らしさを体感した。留学生活には後悔はない。これが留学生活でできるすべてだったと思う。

しかしいざ卒業して、日本に帰った途端に、自分の専門がなんなのかがわからなくなった。

ニューヨークにいたときに、とある日本人女性と知り合った。その方のことをとても尊敬しているので、少し書かせていただきたい。

その方は30年以上前にアメリカに留学生として来て、それからウォール街でバリバリのキャリアウーマンとして成功された方だった。現在は第一線から退き、ニューヨーク郊外の村でフリーランスとして旦那さまとわんちゃんたちと暮らしてらっしゃる。

その方も金融業界で自分の専門を究めたのだなとお話を聞いてて何度も思った。はっきりとした意思と上昇志向があり、すべてのお話が華やいで見えた。もちろん相当な努力とエネルギーの賜物である。しかしその姿にわたしは憧れた。

その方とわたしを比べるのはとても恐縮であるが、専門を究めるというのはこういうことなのだろうと思った。しかしいざわたしが「自分の専門」を究めるとなると、何を専門にするのか、何を頑張るのか、その辺が帰国後からとても曖昧になってきた。

大学でITのことを幅広く勉強したのはいいが、専門にするまでではないと思った。ジャーナリズムにしても、何を専門に書いていけばいいのかが不明瞭すぎる。わたしは一体なにをやっていけばいいのかが全くわからない。

しかし「これ!」という専門を持ち、それを究めたいという欲だけは一丁前にある。生意気なはわかってる。今までこだわりが強く生きてきた。留学を機にそのこだわりの強さがなくなった。そのギャップに悩んでいるわけでもある。

だからこそ好きなことや目標に全力で頑張る人を見ると、本当に素晴らしいなと思う。それと同時に自分自身に強い劣等感を抱く。

これからどうしていくのか、そんな不安が常にある。流れに身をまかせることも1つの手なのかもしれないが、これといった目標を持って突き進みたいのが本音だ。しかしその目標がないので元も子もない。

しばらくは目標探しが続くのかもしれない。自分の専門とはなんなのかと自問自答する日々が続く。

正直なところ、とてもつらい。今までは目標があった。大変なことがたくさんあったが、これまでは目標に突き進むだけだった。だからこんなこと考えたこともなかった。

今のお仕事を頑張り、フィンランド語も頑張り、いろんな人と交流していきながら模索していこうと思う。