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アメリカンまたたび

留学はまたたび

英語ができることで世界は広がるけど、背景や文化的要素を理解する力も必要だよね

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わたしは英語が苦手だ。アメリカの大学に正規留学し、英語しか使わない環境にいたにも関わらず、英語が苦手だ。

留学していたときは、常に英語に苦手意識を感じていた。

英語が話せて当然だし、うまくできないなと思うことがあり、それを克服できても次なる英語の壁は出てくる。

英語が話せないと話にならない環境だったから、自分の英語に自信を持つ余裕なんてものはまったくなかった。

英語が使える楽しさというのも、留学していたときはわからなかった。なぜならできないといけないものが、わたしはできていなかったからだ。

周りの人たちはわたしよりもきれいな発音と豊富なボキャブラリーでどんどん話す。そんな人たちと自分を比べるだけだった。

留学中にアメリカ人と付き合ったこともあったが、自分の英語力のなさをいつも申し訳ないと思っていた。こんなひどい英語に付き合ってくれてありがとうと言う気持ちだ。

だからわたしは自分の英語がどのくらい伸びたのかもわからないまま、大学を卒業した。

そんな英語コンプレックスの塊だったわたしが、初めて英語を話すのが楽しいなあと思う出来事があった。卒業旅行の一環で日本への帰り道にスイスのチューリッヒに行ったときだった。

チューリッヒではAirbnbで南アフリカ出身の女性の家にステイした。

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彼女と話すのがとても楽しかったのだ。自分のことを話すのもとても楽しいと思った。彼女のこれまでの人生とかを聞くのもとても楽しかった。

お世辞だとはわかっているが、あなたの英語はとても素晴らしいと言ってもらえた。

ここでわたしは思ったのだった。このような経験ができているのは、英語が話せるからだと。

ヨーロッパでは英語は公用語になってる国はすくない。しかし多くの人が第二外国語として英語を流暢に話す。そんなところに足を運んだからこそ、こんなことを思えたのかもしれない。

コンプレックスを常に感じ、大学で死にものぐるいで英語で勉強したのも無駄にはなっていなかったのかもしれない。

こんな些細な経験でも、人生の幅っていうのは広がるのかもしれない。だって日本語しか喋れなかったら、この楽しさはわからないはずだろう。

英語が少しできるだけで、触れられる情報量は違うというが、本当にその通りだなとこの経験を通して思った。しかし英語ができるだけでは話にならない。背景や文化的要素を理解しないと、コミュニケーション取れる量は減るだろう。

スイスでの経験から、英語を話す楽しさはもちろん、もう少し自分の英語に自信をもってもいいのかなと気付かされた。またもっと勉強しないといけないこともあると思った。なんだか知らない世界への切符を手にしたような気分にさせられた。