アメリカンまたたび

3年半のアメリカの大学生活を終えて日本に本帰国した23歳女の戯言

高校時代に初めて行ったアメリカ、サンディエゴがわたしに与えた大きな影響

昨日ちょっとサンディエゴのことを思い出した。ブログで書いたことがあったかどうかは忘れた。わたしの初めてのアメリカ、サンディエゴでのことを書こうと思う。

わたしはサンディエゴに行って、アメリカに一目惚れした。サンディエゴに行っていなかったら、わたしは確実にアメリカ学部留学はしていなかったと断言できる。日本の井の中の蛙でのうのうと生きていたに違いない。アメリカが好きすぎる。

(あの時はアナログな時代で、写真のデータありません。すいません。)

サンディエゴに行った理由

わたしがサンディエゴに行ったのは、高校2年の時の必修の海外留学プログラムだった。わたしが行っていた茨城の日大付属の高校のGSというコースでは、高1の時はオーストラリアのブリスベン(今は多分パース)、高2はサンディエゴの短期の留学があった。まあわたしはこれ目当てでこのコースに入った。

2010年の7月。1学期が終わる前にGS2年生だけアメリカに行った。終業式は出ない。

ちなみに当時の担任はアメリカの大学(ミシシッピだっけ?)の教育系の修士号を持っている人だった。(大好きな先生だ。。。)

サンディエゴでは、サンディエゴ州立大学(San Diego State University、通称SDSU)の短期留学生向けの語学研修プログラムみたいなのに参加した。毎日SDSUに行って、3週間みっちり英語のクラスがある。

そしてSDSUの近くの家にホームステイをする。クラスでホームステイのペアを組まれる。そのルームメイトと3週間生活を共にする。わたしはMがルームメイトだった。

現地では日本人の留学コーディネーターがわたしたちの生活をサポートしてくれた。日本語、中国語、英語が堪能な愉快なおじさんだった。たしかその人はシンガポールかなんかの日系の留学系の会社の人。その会社がホームステイの割り振りとかしてくれたりする。

サンディエゴのホストファミリー

サンディエゴでは本当にホストファミリーが素晴らしいお方だった。

ホームステイは当たり外れが激しい。わたしはこれを含めて4回したことあるけど、他の3つは散々だった。

ホストファミリーは子供が独立している、二人暮らしの老夫婦だった。パパは日本の横須賀の海軍基地に20年勤務していた経験をもつ。つまり家族全員、横須賀に20年住んでいたってこと。日本語はペラペラだけど、私たちのために英語でいつも話しかけてくれた。

学校から帰ると、庭に出て休憩をするんだけど、その時にいつもお菓子とジュースを持っていろいろ話をした。学校はどうだったかとか、その日の出来事を話す。わたしらは基本的に英語がほとんど話せない。でもパパとママがたくさん話しかけてきてくれて、それでなんとかつたない英語でも必死に話していた。

食事も毎回手作りの美味しいアメリカやフィリピンの料理を振舞ってくれた。たぶんママがフィリピン系。よくフィリピンがどうだとか話していた気がする。料理を作るのはパパの役目だった。いつも学校から帰ると、キッチンに立つパパをよく見たものだった。

庭でバーベキューしたソーセージとかお肉でハンバーガー・ホットドッグをいただく。これがまた絶品なのだ。香ばしくて、肉汁がじゅわあっとして、ボリューミー。だからアメリカのバーベキューした手作りのハンバーガーとホットドッグが大好きなのだ。

あとこの家の料理で大好きだったのが、ミートボールスパゲッティ。あの時の感動はなんなんだろう。オーストラリアでもミートボールスパゲッティ食べたけど、比べ物にならない美味しさだった。今でもあの味が忘れられない。自分で作ったこともあったけど、なかなかうまくいかない。

ミートボールが大きくて、ゴロゴロしてて、ああああ最高だった。だめだ一生忘れられないわ。。レシピを教えてもらえばよかった。

ママはあんま料理をしなかったけど、たまに朝ごはんを作ってくれた。思い出深いのはスクランブルエッグだな。ふわふわ卵で、絶妙な甘さと塩気が素晴らしかった。なんであんなに美味しいのかな。とりあえず最高だった。

もう7年も前のことだから毎日何食べたかはほとんど覚えていないんだけど、この3つはインパクトが大きかったからよく覚えてる。あ、食後はパパが毎日アイスをくれた。

他のクラスメイトたちは食事が合わなくて便秘になった子も多かった。わたしとMは食事が良かったので、毎日快便だった。笑

アメリカ飯はうまい

こんな感じでホストファミリーの人柄だけでなく、食事も最高だった。よく日本人は「アメリカの飯はまずい」と言うけど、わたしは初めて食べたアメリカ飯が最高だったから、その感覚があまり理解できない。

7年前に初めてアメリカ飯を食べた感想は、「オーストラリアよりも何倍も美味しい。日本で食べるものよりも美味しい。」だった。

たしかにNYの大学時代の寮の飯は最悪だった。しかしあれ、アメリカ人のルームメイトもみんな嫌いだった。だからみんなミールプランあっても、デリバリーよく頼んでた。寮の飯はまずい。アメリカ飯を寮飯とか適当な安い食べ物で判断するのは大変よろしくない。

参考記事。

americanmatatabi.hatenablog.com

勉強の記憶が非常に薄いサンディエゴ

先生方とお金を出してくれた両親には大変申し訳ないが、大学での英語のクラスは全然面白くなかった。だから何を学んだか全く覚えていない。

とりあえず当時は英語運用能力が低すぎたので、あんま理解できなかった。私にはレベルが高かったんだろう。そして時差ぼけでよく眠かった。勉強もあまり楽しくなったけど、自習時間に教科書に出てくる有名人を調べるのは楽しかった。オーソン・ウェールズをなぜか調べてた。あと図書館の探検とかしてたな。

まあでも語学研修ってこんなものなのかなと思う。期待をするのはよくないのかもしれない。一番最初はその国に興味をもつために、観光の延長のようなものでいいのかも。そこでいろいろ詰め込みすぎて、生徒がアメリカを嫌いになったら嫌だし、悲しいよね。

サンディエゴの空気感、大好きなホストファミリー

空気感というか、サンディエゴの雰囲気が大好きだった。毎日晴れてて、そこまで暑くなくて、朝はひんやりしている。街並みもわたしの好みだった。ビーチも近くて、わたしは今でもあの時に感じたものが忘れられない。

サンディエゴのやや郊外っていう土地柄も良かった。ロスとかSFみたいなガヤガヤしている大都会じゃなくて、都会へのアクセスが良い郊外の穏やかな環境は、わたしの初めてのアメリカにぴったりだった。先生たちのチョイス、グッジョブだ。

それに加えてホストファミリーに恵まれたことが、わたしのサンディエゴの思い出を輝かせているのかもしれない。

高1の時に行ったブリスベンと比較してみた時に、やはりサンディエゴの方が何百倍も楽しかった。サンディエゴは自分に合っていると思った。人や街の雰囲気とか食べ物とか、まあホストファミリーの影響がかなり強いけど。

帰国後はアメリカ、サンディエゴのことばかり考えていた。アメリカに戻りたくて戻りたくて仕方なくなった。その後は京都のあのR大学に行くことになるけど、わたしはアメリカへの思いを諦めきれなかったことと、教授と口論になって、大学がクソで中退した。

わたしがアメリカで大学の学位を取りたいと思った大きな理由には、確実にサンディエゴでの経験がある。他にもアメリカに留学していた恩師や大量の海外ドラマの影響もあるけど、アメリカに行かなかったら、具体的なアクションは起こしにくかったかも。いろいろ見聞きしても、実際に行ったことがあるというのはものすごく強い。

じゃあなんでサンディエゴの大学に行かなかったのか

いろいろなアメリカの顔を知った方が楽しいと思った。当時はひとつの都市しか知らないくせにアメリカをドヤ顔で語りたくないと思ってた。

だからサンディエゴとは真逆の、サクラメントよりも奥にある超北カリフォルニアのコミカレに行った。ひとつの州しか住んだことないくせにアメリカ留学やアメリカをドヤ顔で語りたくなくて、州をまたいで編入した。まあ海外ドラマで憧れたNYに行きたかったというのもあるけど。

チコもオルバニーも大好きだけど、やはりわたしの根底にはサンディエゴがある。

サンディエゴ

高2の語学研修から4年半後。わたしはサンディエゴに戻った。

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(この写真はLAXからサンディエゴに行く途中のI-5の道路のレストエリア的なところで休憩した時に撮った。どこだかはわからないけど、海が見えて気持ちの良いところだった。)

NY1年目の時に、日本に一時帰国をした帰りにロサンゼルス経由でNYに戻る途中。その時はSoCalに5日くらい滞在した。レンタカーを借りて、ロスからサンノゼまで地獄のドライブをした時だ。

americanmatatabi.hatenablog.com

こっちが地獄のドライブね。(ごめん、話が逸れる・・・今回のブログとは全然関係ない・・・)

americanmatatabi.hatenablog.com

LAXの空港に着いてすぐにサンディエゴまで車を走らせた。4年半前に通った道路、見た景色、どれも懐かしかった。そして大学の周辺や当時ステイした家の周りとかを車で一周した。ホストファミリーには会えなかった。残念ながら、当時のホストファミリーの連絡先は知らない。そしてもう引越しをされたようだった。

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(サンディエゴで泊まったモーテルにあったヤシの木。)

あんなに良くしてくれたホストファミリーにはもう会えないと思うけど、わたしの心の中には一生あの3週間の思い出が生き続ける。

個人的な感想

高校時代にアメリカに行って、本当に良かった。アメリカを大好きになれた。大学でいきなり学位留学、と言うよりも、その前に少しでも行って良かった。

あの時の楽しかった経験があったから、その後の学部留学で毎日死にたくなってもなんとか乗り越えられたのかもしれない。

現地の人と交流をして、美味しいアメリカンなご飯食べて、素敵な景色に魅了されて、すごく短い3週間がわたしの人生に与えた影響は計り知れない。

余談:日本人の老婆

サンディエゴでステイしていた家があるStreetに日本人の老婆が1人で豪邸に住んでいた。年は知らないけど、多分、7年前のあの時で70歳は超えていたんじゃないかなと思う。老婆だけどすごいパワフルなおばあちゃんだった。

わたしとMがいつも通り大学からの帰り道に、話しているところを"Korean?? Oh no Japanese!"と言われたのが初対面。たぶん私たちが日本語で会話していたのが聞こえたのかなと思う。そこで家の中に招待された。

家は大きい。豪邸だ。1人で住むのはもったいないくらいだ。家の中ではNHKのテレビが流れてて、たぶん犬がいた。大きな窓がある眺めの良いキッチンでお茶と和菓子をもらった。

老婆はたしか神戸出身かなんかで、アメリカ人と結婚したんだったっけか。昔は赤毛にしていたらしい。アメリカには長いこと住んでいるらしい。ずいぶん前のことなので、話はほとんど覚えていない。

ただ老婆の話でひとつだけ強烈だったことがある。「高校は日本で出ておきなさい。日本の高校の教育はレベルが高い。そして可能ならば、大学はアメリカにきなさい。日本の大学はダメだ。アメリカにきなさい。」

この言葉だけ覚えている。わたしは決して老婆が言ったからアメリカにきたわけじゃないけど、無意識に老婆の言葉に導かれたところはあるのかもしれない。

老婆にはその時限りで一度しか会っていない。最初で最後だった。今はお元気だろうか。どこにいるのだろうか。何も知らない。ただ強烈な老婆だったことだけ覚えている。