アメリカンまたたび

3年半のアメリカの大学生活を終えて日本に本帰国した23歳女の戯言

自分の名前が母国ではよく間違えられ、アメリカではよく褒められる

名前について思うことがある。わたしの名前は「ゆうき」という。

わたしの名前は初対面の人にはだいたい正しく書いたり読んだりしてもらえない。親切な人だと、ゆきさんですか?ゆうきさんですか?と聞いてくれる。だけどデリカシーのない人だと、なんの確認もしないで勝手にゆきさんってわたしのことを言ってくる。そのたびにイライラする。

間違えられる頻度が多すぎるので、訂正することにも疲れてる。

あとYuukiと表記されるのが心の底からイライラする。間違えられるのが嫌なら、Yuukiにすればいいじゃんって、デリカシーのない人から言われたことがある。わたしの名前はYukiであり、ゆうきと読むのだ。Yuukiと書くのは嫌だ。なんなの、自分の名前を赤の他人に決められる筋合いなんかないよ。わたしの名前はゆうきであり、Yukiと書く。これが名前だ。覚えてくれ。変える意味がわからない。

わたしの名前は別にキラキラでもないし、ややこしいこともないはずだが、読み方と漢字の書き方で人々を混乱させるようだ。

人の名前の正しい読み方や書き方を自己判断する人が多いなと、自分の経験を通して思う。わたしは物心ついたときから名前を間違えられてきた。今でもかなりの頻度で間違えられる。

自分の自己判断で人の名前を確かめずに堂々と間違える人が本当に嫌いだ。そういう人は自分の名前を間違えられる経験をしてこなかったんだろう。だから間違えられる人の気持ちがわかることがないし、同じ間違いを何度も繰り返すんだろう。

このようにわたしは生まれてから何万回も名前を間違えられてきたので、人の名前を聞いたり書くときには人一倍慎重になる。間違えられたら嫌な気持ちがものすごくよくわかるからだ。

仕事のメールでも、宛名の名前を書くときには名刺に書かれた名前を何回も確認し、きちんと表記されてるかを何回も確認する。初対面の人にはきちんと名前が発音できてるかを確認する。間違えられて嫌な気持ちにならない人いない。みんな嫌だと思う。だけどわたしの経験上、その嫌な行為を平気な顔してやる人があとをたたない。

人の名前は間違えてはいけません。わからない時は本人に聞きましょう。聞けばいいんです。聞かれたら喜んで答えます。名前の正しいか読み方や書き方を知る姿勢はとてもいいとおもう。

本人に聞かずに自己判断して、相手の名前に対して自分で好きな勝手な漢字や読み仮名を振ったり、文字の変換でトップに出てきた漢字を当てはめるのは最低最悪。文字の変換が面倒だったからこの漢字を当てはめるとかほんとひどい言い訳だよ。

中学の時にわたしの名前が英語のなんかで表彰されて張り出されたことがあった。わたしの名前は案の定、間違えられて書かれてた。間違えられることに慣れてるわたしは無視してたが、友達が「名前の漢字違くない?」と気付いてくれた。それを担任に言ってくれたことがある。その担任はすごい謝ってきた。「人の名前を間違えるなんてとんでもない人だね。ひどすぎる。英語の先生に修正してもらって、新しいのに張り替えるね」と言ってくれた。わたしは担任にそのように言われたことが嬉しかった。

そこでわたしは名前が間違えられることは悪だし、間違えられたら主張していいのだと悟った。ちゃんと注意していいのだということを認識した。

名前ごときでこんなに騒いでるんじゃないよって言われるかもしれないけど、わたしは騒ぐよ。名前が違うだけで自分ではなくなるからね。

 

余談だけど、アメリカではわたしは名前を間違えられることはほぼ皆無だった。書きやすくて読みやすくて、あなたの名前はビューティフルねってよく褒められたものだ。

だからわたしは自分にイングリッシュネームをつけなかった。褒めてもらえる名前を堂々と生かそうと思った。

アメリカで名前が褒められるのと同じ回数くらい、母国では褒められるのではなく、間違えられる。

自分の母国では毎日のように間違えられる名前、アメリカでは外国人の名前なのに親しみを持ってもらいやすくて好きだ。

アメリカでは外国人の名前はよく間違えられる。わたしも間違えられる人の気持ちが痛いほどよくわかるので、日本にいるときと同様にアメリカでも人の名前は一文字一文字正確に発音し、書かないときは正しい表記を何度も確認する。母国にいようが、外国にいようが、世界中どこでも他人の名前を正確に言うのはものすごく大事なことであるとわたしは強く思う。