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アメリカンまたたび

留学はまたたび

【適当】高校時代

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ブログを始めた初期のころとか自分のことだけを書く記事は絶対に書かないというポリシーがありました。なぜだかは極秘ですw しかし最近はクズ留学生である自分のことを書いても楽しみながら読んでくれる人も増えてきたので、過去のことを書いていくこともしようかなと思い始めました。

留学中のこととか、大学のときの話はしてきたと思うので、それよりもっと前のことを書こうと思います。今回は高校受験のころから高校卒業のころの自分のことについて書こうと思います。 

【高校受験】

わたしは茨城県の田舎町の中学に行っていました。塾も地元の塾に行っていました。周りはもちろん県立高校主義です。東京とかの都会の人には理解できないかもしれませんが、田舎者は県立高校にやたらこだわります。私立高校は落ちこぼれが行くものというイメージがあるんです。わたしらの両親の時代はどこの高校にも行けないような奴がとりあえず行くのが私立高校。その名残でしょう。

わたしは最初家からチャリで通える、偏差値50くらいの高校に行ければいいやと思っていましたが、部活の友達が偏差値65くらいの茨城でも「まあこの高校に行けたらたいしたもんだ」という高校を目指す子が多かったので、わたしもそこ行こうかなとボソっと思い始めました。とりあえず第一志望をその高校にしました。

わたしは当時英語の成績は偏差値70くらいはあったんですけど、数学がほんとにできなくて偏差値50もありませんでした。極端なんですよね。他は平均くらいだった。国語はよくできていたと思います。作文が得意でしたね。
県立高校の入試となれば5教科勉強しないといけない。まあなんとかがむしゃらに勉強しました。塾にも毎日行き、冬休みも毎日行き、よくやっていたなーって思います。

滑り止めの私立高校を3校受け、一応どこも受かりました。そして3月の県立高校入試。見事に落ちましたw 部活の友達はみんな受かりましたw わたしだけその県立高校からすぐ近くの日大の付属高校に行く生活が始まりました。

なぜそこかっていうのは、姉が勝手に決めたからです。もう一つは野球で有名な常総学院。制服がダサいからやめろって言われた。もう一つはもっと冴えない私立高校。元彼が行っていたから行くなって言われた。それで消去法で残ったのが日大付属。まあこの高校もなかなかの制服のダサさでしたけどねw

ちなみにわたしはその受けた県立高校を受験するのは親からも塾の先生からも反対されていました。レベルを一つ落とせって言われていた。まあ塾も合格実績を上げるためにそう言ったんでしょうしまあ気持ちもわからなくもないですね。まあ今思うのは、あの時レベル落とさずに落ちててよかったですね。絶対言われた高校にだけは行きたくなかったw 

【高校時代】

ちなみに高校時代は葬り去りたい黒歴史が半分ほどあるので、そこは割愛させていただきますw

高校は日大の付属校。日大に行くクラスが9クラス、スポーツクラスが2クラス、難関大学行くクラスが4クラス、スーパーハイっていう東大とか京大目指しちゃうようなクラスが1クラス、そんで変人が集まると噂のグローバルな人間育成のクラスが1クラス。1学年17クラスもある、俗に言うマンモス校です。

わたしは最初は日大に行くクラスだったんですけど、入学前のクラス分けテストで日大やだwってなって、英語だけはよくできたので変人が集まると噂のGSというグローバルな人材育成のクラスに入りました。

GSは修学旅行ない代わりに海外語学研修がありました。それに行きたかったんです。オーストラリアとカリフォルニアのサンディエゴ。 

そのほかにもGSは楽しかったです。まあ3年間クラス変わらないので世界は狭いですけど。いろいろ人間関係でゴタゴタしましたし、今でも付き合いのある友達はいるし、まあこれでよかったんでしょう。

GSの楽しかったこと

・国語の授業

国語は3年間先生が変わりませんでした。担当の先生は若い女性でしたが、また強烈な先生でした。専門は江戸時代のエロだっておっしゃっていた気がする。その先生の授業で特に面白かったのが『こころ』の授業と文学史の授業。『こころ』は先生がこの作品好きすぎて独自の視点で授業をやるんですよね。 
そして必ず時代背景から勉強するんです。時代背景もまたギャグを織り交ぜながら説明してくれるので、それがまた超楽しかったですね。

文学史は基本的にエロ目線でした。田山花袋の『布団』なら、「女の布団を嗅ぎつけるとかまじキモいでしょーw」とか、谷崎の『痴人の愛』なら、「まじロリコンwwww」とかそんな感じで授業してくれましたね。すごい楽しかったですね。だから今でも文学史好きなんですよねえ。

この先生には大学受験のときにスパルタ論文指導もしていただきました。怖かったですね。半泣きになりながら小論文書いていました。

・世界史の授業

世界史は高二の最初からやっていたんですけど、高二の1学期の世界史のデブッチョの先生が教えかたが下手くそすぎてクラスの平均点が赤点だったことがありました。ほかのクラスでも同様の被害があり、その先生はたったの一学期でクビになったらしい。たぶん。

それから二学期目からは新米の世界史の先生が来ました。その先生は面白いかたでしたねえ。生徒からの評判もかなり良かった先生でした。この先生の授業のおかげでわたしは世界史大好きになりすぎて、よく先生にマニアックな知識を聞きつけては個人的に本を読んだりとかなんかいろいろやっていました。

そこで独自にキモい王様の観察を始めたんだと思います。ルイ14世はポーズがバレエっぽいとか、16はろくでなしとか、18はデブでクソだったとか。あとかっこいい王様もいろいろ観察していました。楽しかったですね。

・サンディエゴ

このときにサンディエゴに行っていなかったら、わたしは今頃何をしているんだろうと疑問になるくらいわたしのこれまでの人生に大きな影響を与えるできごとだったと思います。

ただ単にホームステイ先の老夫婦が超良い人だったから、それでアメリカへの印象が良くなったのでしょう。ご飯もおいしかったし、いろんなところへ連れてっていっていただきました。お父さんがNavyの仕事をしているかたで、日本に20年住んでいたと言っていましたね。だから日本人にもかなり優しい人だったんだと思います。そしてそのとき一緒の部屋だった友達ともこの滞在で仲良くなりすぎて今でもよく連絡取り合っていますね。

・職員室で唐揚げ食べてた

うちのコースは人数が少ないので、先生たちとの距離も近いのが特徴でした。だから何度も職員室に行っては人生相談してもらいましたね。特に高二のときの担任には超お世話になりました。この先生は最初は営業マンやっていたけど、27のときに仕事やめてアメリカへ留学し、最初は牧場で働いていたというなんとも面白い経歴を持つ先生でした。この先生の影響もあってアメリカへ行きたくてたまらなかったんでしょうねえ。

まあ人生相談してもらっているとよく唐揚げをいただいていました。高校の近くに揚げ物やがあったんですよね。おいしかったですね。

・雑誌溜め込んでいた

あのころ雑誌買いまくっていましたので、それを学校へ持ってきてはみんなで読むってことをしていました。CanCamとか分厚い雑誌ばっか買っていたから、机の中重くて掃除当番によく怒られていましたw


とまあ楽しかったことといえばこんなもんでしょうか。

あと高校サッカー好きすぎてサッカー部のマネージャーやっていましたね。うちのチームは強くなかったです。よく先輩や後輩のマネージャーとおしゃべりしていました。夏は日陰がないところにずっといて、冬は極寒の校庭にずっといて、よく生きていたなあ若かったなあって思います。

選手権は顧問からタダ券もらって決勝見に行ったこともありました。わたしはフィジカルが強い選手が好きなので、それがよく表れたサッカー見ると楽しくて楽しくて仕方なかったですねー。
よく注目していた高校は、鹿児島城西、四日市中央、滝川第二、山梨学院、ですかね。もう記憶古すぎて覚えていませんw あの頃注目していた選手もみんな忘れてしまったw ただ最初に注目した高校はだいたいどこもいいところまで行くとこばかりだったのは覚えていますね。


そんな高校時代でした。

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