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アメリカンまたたび

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【適当】The Longest Ride:日本語吹き替えで映画の良さを伝える厳しさを感じた

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わたしが渡航者下痢症と戦いながらヘルシンキ→ニューヨークシティ間を往復したことはこのブログを読んでくださっている方でしたらもうお馴染みの事実であるかもしれませんね。

渡航者下痢症になりかけていたころにこんな映画を見ていました。



若いカウボーイと、そしてイケイケ女子大生のラブコメディです。そこにとあるおじいさんが出てきて、そのおじいさんの恋愛の回顧録もあるという恋愛わっしょいな映画でした。

映画そのものはとても面白かったです。下痢で腹痛くて最後まで見る気力がなかったのが辛いですね。また改めて見たいです。

今回わたしが突っ込みたいのは、日本語吹き替えの不気味さです。

わたしは普段英語の洋画を見るときは何もつけずにシンプルな形態で見ます。日本語字幕・英語字幕・吹き替えなしです。 たまーに早口な英語を話している役者さんが多い時は英語の字幕をつけます。できるだけ日本語は介したくないです。日本語を介したくない理由は、セリフの重みとか、英語独特な表現とかが感じられなくなってしまって映画のストーリーを100%楽しむことができなくなると思っているからなんです。

今回、この映画を日本語吹き替えで見たのはまあノリでした。吹き替えはこれまでできるだけ避けてきたので、どんな感じなのかわからなかった。吹き替えの世界観も知っておくことが大事であると思って吹き替えで見てみることにしました。

まー、ただアメリカ人の役者さんが日本語を話している感じが違和感しか感じないのは当然のことだろうと思いました。だがしかし、それ以外の面で違和感の連続でした。

それは、

アメリカの文化的背景が完全に無視されている
 
ということでした。

この映画にこんなシーンがありました。

カウボーイが女子大生をデートに誘いました。そしてデート当日、カウボーイは女子大生の家まで迎えに行きます。そこはソロリティハウスでした。
その女子大生はソロリティに属していたわけですね。

カウボーイがソロリティハウスに入ったあとに、女子大生の親友が彼を出迎えました。そこで女子大生とその親友はとても仲よさそうに話をします。

迎えに行ったあとに、カウボーイが放つ"日本語"に違和感を感じました。
「女の子ばっかりだったね」

わたし「おい、ソロリティなんだから女ばっかいて当たり前だろうがおい」

そしてカウボーイ「さっきの女の子ともすごく仲が良さそうだった」

わたし「まあソロリティってなんだかみんな"姉妹"みたいに仲が良さそうだからそう見えるのも当たり前なんだろうなあ」

特にここのカウボーイが放つ"日本語"が実際のシーンの様子と噛み合っていない感じがとてもすごかったのが印象的でした。

ここでわたしは考えてみたのです。吹き替えって日本人がアメリカのことを何も知らなくても楽しめるようにできているものなのだろうと。やはりこれも商売ですから、英語に忠実にした吹き替えをしてもその文化的な背景を理解することができなかったらその映画を見る人は減ってしまうでしょうね。

日本語の吹き替えじゃなくても同様のことが言えるのかもしれません。例えば、インドの映画を見ても、インドの文化的背景がわからないから、そのままやはりわかりやすいように言葉をアレンジしてもらったほうが見ている側としては助かりますよね。 

だから最大限に映画の良さがわかるようになるためには、その国の人々の慣習や風習、そういったことを学んだ上で見てみるのが最も大事なのではないかと思います。言葉よりも、中身がわかっていないとなにも理解することはできないのではないでしょうか。物語を楽しむだけだったら、日本の映画とドラマを見ていることとなんら変わりはないと思います。

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