アメリカンまたたび

3年半のアメリカの大学生活を終えて日本に本帰国した23歳女の戯言

【またたび大学院留学③】院に行こうと思ってから、ニューヨーク大学に受かるまでのプロセス

大学院に行こうと思ってから、NYUに受かるまでのプロセスを細かく書こうと思います。結構遠回りをしたような気がしますし、ここまで来るのはとても辛かったです。これまでブログに書かなかったことも交えながら、この1年を振り返ります。

2017年2月〜5月:新卒入社早々、キャリアに悩む

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新卒入社早々、自分の仕事はこのままやっていくべきなのかどうかで悩み始めた。大学卒業前は、私はそこまで英語を使う仕事にこだわっていなかった。だけど、いざ日本語しか使わない生活、仕事をし始めると、英語に触れることが強烈に恋しくなった。

私の英語のレベルはそこまで高くない。しかしある程度は使えるようになった英語。このままレベルが朽ちていくのを見ているのが非常に辛かった。上司にお願いをして英語を少しでも使う仕事をさせてもらったが、満足できていなかった。

そしてこのまま東京で自分が生きていくイメージがまったくできなかった。自分の将来やキャリアをここ東京でどのように描いていけばいいのかまったくわからなかった。友達に英語で記事を書く仕事をしたり、外資に転職したら?とも言われたことがあったが、そのアドバイスは自分の中でしっくりこなかった。

ちょうどそのとき、つるんでいたアメリカ人の男がいた。男はクソの極みそのものだったけど、奴と英語で話しているときは楽しかった。自分が自分らしくいられると思っていた。だけどそいつになんか知らんが一方的に振られ、やけくそになったわたしは即夏休みの申請をし、ニューヨーク行きの航空券を予約した。NY行きは衝動だった。もうこのまま日本にいたら、自分はとんでもなくおかしくなると思った。精神的に参っていた。

精神的に参りすぎて、体調を崩し始めた。毎日のように偏頭痛、ニキビ、摂食障害に悩まされた。ご飯を食べたくないし、肌荒れがすごいし、頭が毎日痛いし、もう人生終わりかのような気分がここから半年以上続いた。

2017年6月:人生の見方を変えたニューヨーク旅行

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たった4日間のニューヨーク滞在はわたしの人生の方向性をガラッと変えてくれた。

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ニューヨークはわたしの大好きなニューヨークのまんまで、心の底からホッとした時間を過ごすことができた。東京にはない、穏やかでゆったりした雰囲気と空気感に癒された。ああやっぱわたしはニューヨークが好きだと思った。

この旅で、副業で働いている会社の上司とお会いした。日本でいろいろと悩んでいると話したら、「これからもっと悩むことが出てくるはず。今の悩みがちっぽけに見えてくるかもしれないよ」と言われたのが、旅の後も心に引っかかっていた。

この旅を終えた後、わたしは心の中に変なもやもやを感じていた。またアメリカ、それか違う外国で頑張りたいという気持ちが芽生えたが、何をどうしたらいいのかわからなかった。しかしオルバニーからNYCへ向かうバスの中で、わたしはいずれここに戻ってくるだろうなあみたいな変な結びつきを感じていた。

2017年7月:大学院に行くことを決める

ニューヨーク旅行から帰ってきてから、自分の将来についてすごく真剣に考えた。東京にいるつもりはサラサラなく、東京の街、生活、職場に違和感を感じていた。じゃあどうすればいいのだろうか。

まず仕事で海外に行こうと思ったが、その選択そのものが自分にしっくりこなかった。ビザが降りるはずもないし、専門性がまったくないわたしにとっては、うまくいく自信がゼロに等しい。LinkedInなどでもいろいろ仕事を探した。何もかもしっくりこない。自分が納得いく、しっくりくる選択は何なんだろうか。そればかり考える毎日だった。

そんなときに、ニューヨークでお世話になっていた日本人の方の言葉を思い出した。その方には留学中からよくお世話になっていて、まさしくわたしのロールモデルのようなお方だ。あんなかっこいい女性になりたいとずっと思っている。

ニューヨークに行ったときに、「大学院に行くのがいいんじゃない?」と何度も言われた。その方にこの言葉を言われたとき、院への進学はまったく考えていなかった。わたしはGPAがとんでもなく低いし、成績でまず落とされるだろうとばかり思っていたのだ。ただ大学院に行きたい気持ちはわずかにあった。

低いGPAでも大学院に受かったという英語の大学院掲示板とかを読んでて、わたしにも希望があるかな?と思い始めてきた。まずチャレンジするだけしてみよう。無理だったら無理で、日本で何らかの道を見つければいいやと。

NY旅行で上司に言われたことも思い出した。このまま日本にいて結婚だの妊娠だの親の介護だのいろいろな人生の転換期を迎える前に、自分がやりたいことをやっておこうと思った。

それからわたしは大学院に行くことに決めた。どんな専攻にしようか決めてからは、自分がした選択に納得ができた。自分の専門性を身につけようと思った。専門性を身につけて、自信持って仕事がしたいと思った。

ああ、わたしはこの選択を探していたんだ。これを今まで見つけられなかったから、悩んでいたんだ。そんな事実に気づいた。

わたしは大学院でまた日本の外に出ることに決めた。

2017年8月:日本国内の奨学金に応募するために必死

大学院進学の資金調達のために、日本国内の財団がやっている奨学金に応募した。その奨学金がなかなか出願がハードだった。まず8ページにも及ぶ志望理由書(全部手書きwww)、自分が勉強したい分野について英語で書くなど時間がかかりまくった。紙で成績表を取り寄せなくてはいけなかったし、時間もコストも膨大にかかった。

毎週土曜日にカフェに通い始めたのもこの頃。土曜の朝はカフェで作業。大量に調べ物をし、英語を書き、志望動機をまとめるなどした。自分でもかなり頑張ったけど、その奨学金には受からなかった。

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この頃もなかなか精神的に辛かった。

2017年9月:出願先の選定

9月はどこの大学に行こうか考え始めた。大学を大量に調べた。

わたしがやっていた探し方はこれ。

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大学探しもなかなか辛かったけど、これくらいしないと満足のいく進学先は見つからないだろうと思っていた。この時に感謝したのは、自分の英語のリサーチ能力。英語で調べるのは得意だ。日本語だったらここまで調べられないだろうと思った。

そこでオクラホマの大学を見つけた。プログラムと教授に惹かれたのだった。わたしは南部寄りの中西部に行ったことがなかったので、どんなところか見に行ってみることにした。

わたしにとって環境はとても重要な指標だ。わたしは環境に左右されやすい、ダメな人間だ。たとえプログラムや教授が素晴らしくても、自分がしっくりこない土地柄だとやる気が起きないのだ(京都とカリフォルニアがそうだった)。そうなるのが嫌だったので、オクラホマにそれを確かめに行くことは大事だと思った。

2017年10月:オクラホマ旅行

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オクラホマでの滞在で、わたしは以下のようなことを悟った。

・異文化コミュニケーションだけを勉強したくない。教育学の視点を絡ませたい。

オクラホマでは、いくつかの授業に参加した。どれもとても面白かった。10名近い教授と話し、多くの大学院生とも話した。みんなとてもいい人だった。だけど話を聞くうちに、この学部がどんなことにフォーカスをしているのかを知った。それが自分の方向性と大きく違うことに気がついた。

これ故に、コミュニケーション学部へ出願することをやめた。高等教育関連の学部へ出願を絞ることにした。

・テキサスとオクラホマで強烈な違和感を感じた。

まず乗り継ぎ地だったテキサスの空港に着いたとき、なんだここは、わたしの知らないアメリカ…みたいな違和感を感じていた。初めて来た州だったし、知らないアメリカなのは当然である。しかしずっと変なもどかしさというか、アウェイな孤独感があった。

空港に着いた直後につらすぎて、会社の同期にメッセージを飛ばしたのが残っている。

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言葉にするのが難しいが、自分はここにいてはいけないような空気感を感じていた。大学時代に4つのまったく異なる環境(京都、東京、カリフォルニアの田舎町、ニューヨークの州都)で生活し、もがいた経験から、ここでやっていける自信を見出すことができなかった。

これを誰か言語化してくれないだろうか。ただただアウェーだった。滞在中はニューヨークとカリフォルニアが恋しかった。わたしは異文化適応能力が非常に低い。おそらくわたしはもう新しい州に行くべきではないのかなというのを薄々と感じていた。

朝の6時頃の飛行機でわたしはオクラホマシティをたった。帰りの飛行機から空港を眺めてたとき、「わたしはこの空港に来ることはもうないかな」と無意識に悟っていた。

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その後、帰りの乗り継ぎでロサンゼルスの空港に着いたときにホッとしている自分がいた。ああ知っているところに戻ってきたなと。

そんなことを感じた強烈な旅行だった。その後、昔の男に送ったテキストには、「大学院に行くなら、カリフォルニアかニューヨークだ」とわたしは言ってた。

2017年11月:出願開始

オクラホマで感じ取ったことを元に、高等教育の分野に絞り、出願の準備が始まった。この月はものすごくしんどかった。

エッセーを書いたり、成績を取り寄せたりするのはまだいい。推薦状の調達に苦労した。推薦状を書いてくれる教授やアドバイザーは比較的すぐに決まったのだが、彼らがなかなか提出してくれない。その催促に悩まされた。

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この月も毎週カフェに通った。カフェ代、大変なことになっていると思う。

2017年12月〜2018年1月:出願が落ち着いてきた

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1校目の出願を終えてからは、心は平穏だった。ただ毎日が穏やかに過ぎ去っていった。

出願が終わるまでは、ただただ出願を終わらせることしか考えられなかった。しかしアプリケーションの提出が終わったら終わったで、受かるかどうかの不安が押し寄せてきた。

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そんなときにTwitterでこんなメッセージをもらったのが救われた。

このメッセージを送ってくれた方に感謝の気持ちを伝えたい。

2018年2月:あまり良くない返事が送られてくる

Facebookで高等教育系の大学院に進みたい人のためのグループに入っている。そこで多くの人が「ここの大学院からインタビューの招待が来ました!誰か他に行く人は、つながりましょう!」とかいう投稿を大量に目にした。

そのときのわたしはというと、どこからも何の返事ももらっていなかった。そういう投稿を見るのが非常に辛かった。

大学の担当者にAdmission Decisionの返事はいつもらえるのか聞いても、無視された。ああもうわたしはダメか、どこにも行けないのかなと思い始めた。

そんなときにお祈りメールが届いた。ああそういうことか、へーって思い、そのメールを受け入れた。

お祈りメールが送られてきた大学のスタッフから、違うプログラムへアプライしないかという提案をされた。受けてみるだけ受けてみようと思い、急いでエッセーを書いて提出をした。提出をしたのは、2月28日だった。

2018年3月:NYUから合格通知をもらう

3月2日。金曜日。金曜は毎週同期とランチを外に食べに行っている。同期とご飯を食べ終わり、オフィスに戻ってきた。今度日本に来る教授からメールがきてないかなと思って、たまたま開いたプライベート用のGmailボックス。ふとこのラベルが目に付いた。

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NYUの返事が来るのは、3月の終わり頃だと思っていたのでびっくりした。ドキドキしながらわたしは出願用の自分のアカウントを開いた。

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受かったことについては、1週間たとうとしている今でも自分の中で受け入れきれていない。まだ夢を見ているような気分だし、ふわふわと宙に浮いている感じがすごいする。

そしてこれから

ここまで来るのは長かったし、孤独だったし、辛かったし、いい思い出は本当にない。自分の精神状態を保つことで精一杯だった。東京で逆カルチャーショックにもがき苦しみ、彼氏はできず、自分の人生に納得できず、そして無我夢中で大学院の出願をしていた。

NYUに受かったことは、この辛い1年が報われたかのような気がした。

NYUに受かるとは思っていなかった一方で、わたしはNYに戻るんじゃないかなという変な根拠のない自信があった。常にわたしの心はNYに導かれているような不思議な感覚があった。

オクラホマで大学を見たり、Lyftで街中をウロウロしながら、「なんかわたしはオクラホマには行くべきではないのかなあ」とうっすら思っていた時。ああやっぱ中西部じゃなくて、NYにわたしは戻るのかなと思っていた。

そんな矢先の合格通知だったので、あの不思議な感覚は、本当だったのだろうかと常にもやもやと考えている。

今後はまたビザの申請やら何やらでバタバタするだろう。そして家探しもしないといけない。わたしはNYにいたと言っても、NYCに住むのは初めて。ひとりで部屋探しをするのも初めて。

部屋探しや、住むのにおすすめな地域がありましたら、ぜひ教えてください。地元ならではな情報が欲しくて欲しくてたまりません。

次は大学院で勉強したいことを書こうと思います。