アメリカンまたたび

2018年秋からニューヨーク大学の大学院で留学生教育を勉強する予定。

3年後の自分は予測できないし、3年前の自分は今の自分を予測できなかった話

4月の初め頃に、留学時代からの友人である、インディアナの大学を卒業したYukaと東京でハングアウトした。その時にYukaと話したことで、自分の中で言語化したいものがあった。

3年後の自分は予測できないし、3年前の自分は今の自分を予測できないということである。

Yukaとはこれからの3年間、人生で最も華のある年代を過ごしていくにあたって、3年後の自分はまったくわからないよねと話していた。また3年前の自分は今現在の自分を予測できたかというと、1ミリもわからなかったと言うことである。

3年前というと、2015年の春。ちょうど大学の卒業シーズン。わたしは大学3年生だった。アメリカでいうところのJunior。正直、将来がマッッッタクわかっていなかった頃だ。プロベーションのレターをカウンセラーからもらい、だけど成績をどうあげたらいいかわからないし、対人恐怖症で自暴自棄になっていた頃だ。成績は2.5をきるほどの相変わらな壊滅的ぶりで、将来どうなってしまうのかと不安を抱いていた。

Poor GPA Studentだった自分が、今の自分はまったく想像ができるはずもない。GPAが低い人は大学院に行けないし、就職もできないという変な噂が流れてきたし、インスタでいろんな人の卒業式の写真を見るたびに自分は卒業できるのか?と言う暗い将来ばかり見えてきたのだった。

まあそんな絶望な時期だったけど、焦っても仕方ないし、将来がわからないのは仕方ないことはわかっていた。だから将来を憂うよりも、今やりたいことを頑張ってコツコツやれば道が開けると当時は思っていた。

この考え方は正解だったと思う。あのとき、いろいろ絶望でも前を向いて自分ができる範囲のことだけをコツコツやってきたから、今があると思う。

だから今思うのは、将来が見えないということは別に悪くないことなのかもしれない。だってわからないってことは、人生が前に進んでいるということな気がするからである。

もし将来が見えていたら、そこで思考停止してしまう気がする。まあそういう人生を求める人もいるし、それは人それぞれである。

私は見えないということは、前に進んでいるから常に変化する可能性があるということなのかもしれないと考える。

ある程度の計画は必要だけど、計画通りにいかないのがまあ人生だし、そういう自分自身の変化を楽しもうと思う。

まあ私もこのようにゆるく考えられるようになったのはここ数ヶ月のことだ。

この3年に起きた様々な出来事が、このように穏やかに考えさせるようになるために私自身を成長させてくれたのかもしれない。

これから3年後はどうなるのか、私はどこに住んで、どんな仕事をしているのか、まっったくわかんないが、まあなんとかなると思って目先のことをとりあえず頑張ろうと思う。