アメリカンまたたび

3年半のアメリカの大学生活を終えて日本に本帰国した24歳女の戯言。2018年秋からニューヨーク大学の大学院で留学生教育を勉強する予定。

辛くても価値があったと信じたい、またたびの2017年

今年を簡単に振り返ろうと思う。一言で言うと、2017年は非常に精神的にしんどい1年になった。仕事を初め、東京で一人暮らしをし、欲しいものを欲しいときに買う、という一見何不自由ない生活をしているように見えるかもしれない。でも心には穴があいていてずっと辛かった。

日本は自分の母国だから、日本では何にも困らなくて楽しい生活を送ることができると思って、大学を卒業した後、日本に帰ってきた。しかしそこで待っていたのは、アメリカと日本の2つの文化の間で揺れ動く自分自身のアイデンティティへの葛藤だった。

そして東京文化へ馴染めなくて毎日辛かった。食事に馴染めない、日本人の感覚が理解できない、英語を話したくても話せない、毎日アメリカが恋しかった。

顔にはニキビがたくさんでき、口角割れもあった。食事をするのが辛かった。何も食べたくない日が続いた。自分自身の東京、日本での将来を描けなくて、毎日もどかしかった。精神的に辛かった。

英語力の衰退という危機感を毎日感じていた。仕事場はグローバルな環境ではないし、別にわたしもグローバルな環境は求めていなかった。だけど英語を全く使わない生活というものが久しぶりすぎて気持ちが悪かった。日本語しか使わない生活に嫌気が差してきた。もっと英語を上達させたいけど、日本で英語を使う仕事をしたいとは思っていなかった。友達に相談して、英語で記事を書く仕事は?とか言われたが、なんかしっくりこなかった。またしても将来が見えなくなって自暴自棄になった。

アメリカ人の男と付き合っていたけど、しっくりこなかった。ただの暇潰しだった。

GWに男にふられてから、夏休みの計画を立てた。このまま日本にいると死ぬと思ったので、勢いでNY行きの航空券を予約した。直属の上司もわたしのリバースカルチャーショックを理解していたので、夏休みの許可を出してくれた。

わたしはNYに行った。JFKに降り立ったときに思ったことは、「ただいま」ということ。エアトレイン、NYCの地下鉄、マンハッタンの喧騒。すべてがただいま。

NYでは留学中からお世話になっていた日本人の女性(アメリカ人の旦那さんがいらっしゃる)の、NYC郊外の家に滞在した。森の中にお家があり、東京の煩わしさから解放される。大好きで大好きでたまらないわんこたちとの再会も果たした。その方はわたしのリバースカルチャーショックをよく理解してくれた。わたしが東京で悩んでいる葛藤をすべて受け止めてくれて、心が救われた。そしてわたしが大好きなアメリカ料理を振舞ってくれた。懐かしい味に涙が出る思いだった。

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朝は森に囲まれながらコーヒーを

森を眺めるダイニングで朝食をいただき、コネチカットへ買い物に行ったり、わんこたちのお散歩をしたり、ガーデニングのお手伝いをしたり。心の底からの楽しい時間だった。精神的に救われた。わんこたちと庭で追いかけっこする時間も宝物のようだった。

アムトラックの駅まで送っていただき、わたしはオルバニーへ戻った。オルバニーもただいまだった。大学へもつかの間のただいま。大学から音楽の先生の家に行く途中の道も、bus stopsもああいつもの風景だ、って感じ。音楽の先生にはアムトラックの駅まで車で迎えにきてもらうように頼もうかなと思っていたが、わたしはどうしてもいつものバスに乗って、いつもの風景を眺めながら先生の家にいきたいと思ったので、わざと遠回りをした。

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オルバニー、いつものバス

音楽の先生とのビールの乾杯、ビールを片手に見るヤンキースの試合。いつもの光景。友達の誕生日パーティへバーに連れてってもらって、みんなでダーツをするのも楽しかった。気を使わない音楽の先生と大好きなビールをたくさん飲んでわたしはご機嫌だった。

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暖炉の上のテレビ、いつもの位置でのビール

オルバニーからNYCへ向かうグレイハウンドのバスでの景色もいつもの風景だった。NYの森の中を駆け抜けて、ニュージャージーへ。そして高層ビル群が見えてきてNYCヘ。懐かしいというよりも、ただいまという感情だった。

そしてわたしは、NY旅行から2週間後に大学院進学を決意した。この決断をしたことにより、これまでモヤモヤしていた「専門性を身につける」という気持ちも明確になった。

大学院に進学する決断は、わたしが半年間東京で抱えていたボヤッとした曖昧な感情をすべてクリアにしてくれた。何を勉強したいのかもすぐに思いついた。今後どうしていきたいのかもスラスラとノートに書き出せた。そして元留学生の友達のゆかが送ってくれた高等教育に関する論文10本がわたしのやりたいことを決定づけた。「これだ」と思った。わたしは論文を読みながら号泣した。感情移入ができるほど、ここまで学びたい、キャリアを構築させたいと思えるものに出会えるとは思っていなかった。

7月からずっと出願準備で追われていた。定時に仕事を終わらせ、学校探しに、パーソナルステートメントの執筆、成績の取り寄せ、想像以上に大変だった。でも諦めたくないと思ったので必死にやった。

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毎週カフェに通って書類を仕上げた

大学探しの一環で、10月にはオクラホマにも足を運んだ。オクラホマは、なんか違うかなと思った。たくさんの人と話した。みんな優しい方ばかりだった。Lyftのドライバーたちも日本からはるばるやってきたわたしにフレンドリーに接してくれた。いろんな人と話して面白かった。楽しかった。

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オクラホマ、滞在した家の近くで

でもなんか違う、unfamiliarな雰囲気を感じてしまった。帰りの飛行機の窓から、オクラホマシティの空港を見て「わたしはここにはもう二度と来ないだろう」と思ってしまった。

その後、大きな方向転換を行った。そんで大学院に出願した。まだ出願が終わっていない大学もある。そして今に至る。

今年は「人生を変えるための準備期間の1年」になったかもしれないと思った。とにかくたくさんいろいろなことがあった。思い通りになんかいかないし、すべてが予想外な展開。1年前の自分は、今現在の自分を1ミリも予測していなかった。そして今の自分も1年後の自分がまったくわからない。

「人生を変えるための準備期間の1年」と偉そうなことを言ったけど、今年頑張ったことが全部ダメになる可能性もある。どうなるかわからないからものすごく怖い。

わたしは本当に不器用な人間だなと痛感することができた。そして不器用なら不器用なりの生き方をしようと再確認することができた1年でもあった。来年はどうなるんだろう。でも今の自分が日本にはいないような気がするからなんかワクワクするけど怖いよね。

日本本帰国へのポジティブな感情

そして今年1年は日本社会へ対するネガティヴな感情によってわたしの心は突き動かされたけど、日本に帰ってきて良かったこともある。そしてリバースカルチャーショックはしんどいけど、この現象に遭遇して良かったと思う。それがあったからこそ、自分の将来を真剣に考えることができた。

また英語ができて良かったと思った。アメリカにいる間は自分の英語力にコンプレックスしか抱かなかったけど、今はやや心の余裕ができた。英語ができるからこそ、日本語にはない情報にアクセスすることができるありがたみを肌で感じた。英語での情報収集力を仕事でも評価してもらうことが増えた。ただそれだけでも嬉しかった。

英語ができることで、コミュニケーションをとることができる人の幅がグンと広がる。触れられる世界観、情報、感情、考え方。日本語で得るにはあまりにも限りがある。留学していた頃はこのことに全然気づかなかった。日本で外国人の人と交流したり、オクラホマに行って何不自由なく英語で会話することができる自分を見ると、5年前の自分はこれができなかったし、あのままアメリカで留学せずに京都にいたらこの「自由」を手にすることがなかったと思うと感慨深い。

こんな風に思えるようになれて、英語に対して少し自信が出てきた。もちろんわたしの英語力はネイティブじゃないし、改善の余地しかないけど、自信を得ることができたのは自分にとって大きな変化だった。もしも日本に本帰国することなくアメリカにいてOPTでもやっていたら、この変化を感じることなく、自分の英語にまたもやコンプレックスばかり感じてまたまた自暴自棄になっているに違いない。

だからわたしは日本に帰ってきたことについては何も後悔をしていない。むしろ帰ってきて良かったと思う。帰ってきたからこそ気づく、見えてくる世界があった。自分の人生にはなくてはならなかった1年であると信じたい。