アメリカンまたたび

2018年秋からニューヨーク大学の大学院で留学生教育を勉強する予定。

自分が住みやすい都市と、そうでない都市を言語化する作業

わたしはアメリカ国内で、タイプの異なる3つの都市で生活してきた。いろんなところに住んでみて、自分はどんな都市が合っているのかというのがなんとなくわかってきた。

結論から言うと、わたしは「大都市へのアクセスの良い中規模都市」が個人的に好きだなあと思う。大学のときに2年半住んだニューヨークの州都であるオルバニーがその例。中規模都市だから、教育、医療、公共交通機関がそれなりに発達してるし、大きなモールやスーパーもある。レストランも困らない程度に充実している。だけど都会みたいな騒がしさもないし、田舎っぽさもある。モールに行けば一通りの買い物が揃う感もいい。あちこちいろんなお店に徒歩で歩き回ることもない。そういうところがわたしは落ち着くんだなと思う。

先日、ペンシルベニア州ピッツバーグに遊びに行った。ここもオルバニーに似ている中規模都市だと思う。教育や医療、図書館などの施設も充実しているし、世界レベルの大学もある。ダウンタウンは都会っぽいけど、人が多くなくてこじんまりしている。車がないと大変そうだけど、車があれば充実するってことだ。わたしはピッツバーグが好きだ。

このように自分にとって何が合うのか、合わないかということをしっかり認識して、言語化していく作業は大事なのかもしれない。いろんなところに住ませてもらったからこそ、いろんな街のいいところとそうでないところを踏まえて、自分へのフィット感が掴めるようになってきた。

カリフォルニアのど田舎のチコもいいところだった。治安も天気もいい。人もみんな優しくて、初めての正規留学にはぴったりの環境だった。でもわたしには田舎過ぎた。閉塞感はいつも感じてた。都会へのアクセスがもう少しよければと思う。それかチコよりもサクラメントがわたしには合いそう。

NYCは好きだ。大学院でこの街に住むのはこの上ない幸せだ。世界トップレベルの教授に出会えて、優秀な人と繋がることができる。だけど今の若い間、大学院で勉強する期間だけでわたしは十分かもしれない。ここは一生住み続けるところではないかなと思う。家賃が高すぎるし、人が多すぎるし、高層ビルが多すぎて陽が入らない。NYCはたまに遊びに行くところだな。

今後、わたしが住みたいのはサンディエゴ。9年前、初めてアメリカに来たときに3週間滞在して一目惚れした街。サンディエゴに一定期間住む機会がほしい。サンディエゴは電車も発達してるし、日系スーパーもあるし、やや都会寄りの中規模都市だと思うけど、都会にはない穏やかさがあったのが忘れられない。サンディエゴが初めてのアメリカだったから、わたしはこうしてこの国で学位を取得しようと思えたのだと思う。

ということで、サンディエゴにどうやったら住めるか考え中。

 

日本でCritical Race Theoryの教育を行うことについて、その3

この記事は第1,2弾の続きです。まずは1と2弾を読んでから、この記事を読むことをお勧めします。

americanmatatabi.hatenablog.com

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日本の教育にどのようにしてProblem-posing educationを導入し、人種に関する教育を行なっていけばいいのか

日本の小中高の教育にproblem-posing educationを導入していくことは、困難であるだろう。そもそも日本においてポピュラーな教育スタイルではなく、先生たちもこのような教育をするように訓練されてきているわけではないからだ。まず、先生たちは生徒に教える前に、teacher's trainingの段階で自分たちが日本における人種の問題を理解する必要があるだろう。

では教育者たちはteacher's trainingにおいてどのようにCRTとproblem-posing educationを導入していくことができるだろうか。Kumasi (2011)はDavid Stovall氏の理論を紹介している (p.216-217)。Stovallの理論はproblem-posing educationにとても似ている。以下が日本でCRT教育を行うための提案である。

①まず先生たちは日本における移民の歴史や政策、視点を知る必要があるだろう。この考えはKumasiがp.210で述べたことに基づく。

②第2のステップとして、外国人として日本に住んでいたり、日本国籍の複数の民族的背景を持つ人の意見、考え、経験などを聞く必要がある。KumasiはStovallの理論においてVoiceが重要だと述べている。

"He does so by privileging the experiential knowledge of his students and allowing them to use their real-world racialized experiences as the starting point for discussions about race(p.216).(注:訳しにくくで訳せませんでした)

その際に先生たちは以下のようなQuestionを考える必要がある。

・日本ではこれまでにどのような差別が問題になってきているのか

・日本ではどのような法律や政策があるのか

③第3のステップとして、学校やクラスでどのように差別を無くしていくことができるのか、そしてお互いの文化的背景をどのように尊重しあっていくことができるのかについてディスカッションをすることが重要だろう。

Kumasi: “the topical units of discussion for the class were designed not only to helprender race and racism visible in the media but also to help students make connections to academic concepts they would encounter in college(p.217). (注:訳しにくくで訳せませんでした)

Freire (1976)はproblem-posing educationを「人々が自分たちは不完全な人間であることを気づかせるための教育」と定義づけている (p.84)。この引用はCRTにおけるHegemonyを考えるにあたって、最重要であろう。

ディスカッションを通し、先生たちは誰しもが不完全であることを自覚しなければ行けない。そして生徒たちに教える立場になったとき、どんな文化も素晴らしいものであり、dominant groupの文化が他より優れていると考えてはいけないということを。

結論

CRTはinclusiveな社会を作っていくために必要不可欠な理論である。もしも日本でCRT教育を小中高でやっていくのであれば、problem-posing educationによる先生の訓練はなくてはならない。

(完)

参考文献:

- Kumasi, K. (2011). Chapter 7. Critical Race Theory and Education, Mapping a Legacy of Activism and Scholarship. In Beyond Critique, Exploring Critical Social Theories and Education (pp. 113-138). Abingdon, United Kingdom: Routledge.

- Freire, P (1976) Chapter 2. Pedagogy of the Oppressed (pp. 71-86).

日本でCritical Race Theoryの教育を行うことについて、その2

この記事は第1弾の続きです。まずは第1弾を読んでから、この記事を読むことをお勧めします。

americanmatatabi.hatenablog.com

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Hegemony

Kumasi(2011)はHegemonyを「あるひとつの文化的グループによる他のグループへの支配」であると定義づけている (p.209)。日本における「あるひとつの文化的グループによる支配」は父親と母親が日本人であることを示すだろう。KumasiはCRTにおけるHegemonyを「subordinateなグループが支配的グループの価値観や習慣を受け入れ、適応し、自分のものとしていくこと」であると説明する (p.209)。

このHegemonyのコンセプトは、日本における人種差別と強い関連性がある。なぜなら日本におけるsubordinateグループは、地方に行けば行くほど自己の文化やルーツを共有する機会が少ない。(付け足し:最近では東京ではいろいろな国のフェアやレストランが増えているのは知っています)

このような事実によって、複数の文化的なバックグラウンドを持つ人が、宮本アリアナさんや大坂なおみ選手のように「本当の日本人に見えない」などと言われるような現実が起こっているのではないだろうか。まさにHegemonyを示す事例である。

Race

Race、つまり「人種」のコンセプトはCRTにおいて最重要とも言えるものである。Kumasi (2011)は、"throughout history, there have been social and political disputes over how racial lines have been drawn and who gets to be classified as a certain race in the eyes of the law” (p.210)と述べている。(注:訳しにくすぎて訳せませんでした。ごめんなさい)

移民の歴史や国同士の関係性、そして移民に関する政策を知ることは人種差別を無くしていくための第一歩になるだろう。日本は移民や外国人を受け入れることに関して長い歴史がある。例えば、1945年の終戦アメリカは日本各地に多くの基地を建設した。多くの将校や兵士は日本に駐留し、日本人女性と恋愛関係になったり、結婚したりした者も少なくはなかった。

Tolbert (2018)はアメリカ兵と日本人女性との間に生まれた男性を取材した。その男性の母親は1960年に男性を出産した後、アメリカ人夫婦へ養子に出した。「彼女はハーフの子供が日本で生きていくことの困難さを知っていた」。我々はこのような人々の経験、もがき苦しみや歴史を理解しておく必要がある。

Voice

VoiceとはStorytelling、物語を伝えていく意味も含められる。Ladson-Billings and Tate IV (2017)は「誰かが抱える現実に名前をつけたり、声を上げていくことは人種を研究する学者たちの業績を確率してきた」と述べている。Kumasi (2011)は「Voiceは人種差別を表面化していく上でもっともパワフルなツールである」と考えている。

(付け足し:CRTに置いてVoiceは自らの経験を他の人に共有していくという意味が含まれている。共有の形態はなんでもいい。一対一で話したり、大勢の前でスピーチしたり、ブログや動画にしたりするのも良い。お互いの経験を話すことで、違いの理解を深めていくという意図だ。)

2015年に宮本アリアナさんがミスユニバースに立候補した理由のひとつに、ハーフの日本人として生きる自らの経験を共有していきたいという思いがあったそうだ。かつて彼女が小さかった頃、クラスメイトに「ここに来るな、肌の色が移る」と言われたことがあったそうである ("Miss Universe Japan")。彼女は違う人種的・文化的な背景を持つことをお互いに理解していくために、VoiceとStorytellingの力を信じている。

宮本さんの行動はとても効果的である。なぜならLadson-Billings and Tate IV (2017)が「経験を共有していくことは、お互いにとって自民族中心主義の考え方を乗り越えたり、不平等さを認めてしまう考えを変えていく」と強調しているからである。

CRTと銀行型教育の関連性について

Hegemony、Race、VoiceなどのCRTにおける重要なコンセプトを学ぶに当たって、「problem-posing education」が必要になるだろう。CRTの教育ではお互いの経験や視点を共有する対話が求められている。「銀行型教育」ではこのような形態の授業を展開することが厳しいだろう。

一般的に日本の多くの学校では銀行型教育にのっとった教育を行なっている。banking model of educationと英語では言う。Darder (2018)によると、まるで生徒や学生が銀行口座。その口座に先生が知識という名のお金(英語ではdeposit)を振り込んでいく、といった考え方。ブラジルの有名な教育学者であるFreireの理論であると述べている。生徒たちは授業中に先生やクラスメイトと話すことは推奨されていない。彼らはただ重要な項目を覚え、使えるようになり、テストでいい点数を取ればいいだけなのである。

一方で、Darder (2018)による「problem-posing education」とは、生徒や学生に自由に考えさせるための教育のことを言う。ディスカッションやエッセイを通し、自分の意見を自由に発信する能力を伸ばしていくことが目的とされている。「problem-posing educationは、批判的な考え方を伸ばすために『生徒たちを自由に考える者』として受け入れる」(p.112)。クリティカルシンキング教育と似ている。

私は銀行型教育が日本における人種差別を助長する一つの役割を発揮している一因になっているのではないかと考えた。なぜなら授業を通して「違い」について考えたり、意見を交換するということをしてこなかったからである。

続きはその3でお読みください。

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参考文献

- Darder, A. (2018). Chapter 3: In dialogue with the text. The Student Guide to Freire's' pedagogy of the Oppressed'. Bloomsbury Publishing.

- Kumasi, K. (2011). Chapter 7. Critical Race Theory and Education, Mapping a Legacy of Activism and Scholarship. In Beyond Critique, Exploring Critical Social Theories and Education (pp. 113-138). Abingdon, United Kingdom: Routledge.

- Miss Universe Japan speak about her racial discrimination experiences in Japan. (2015, June 16). Retrieved November 27, 2018, from https://mdpr.jp/news/detail/1494871

- Ladson-Billing, G. & Tate IV, W. F. (2014). Chapter 1. Toward a Critical Race Theory of Education. In Critical Race theory in education: All Gods children got a song (pp. 11-31). New York, NY: Routledge.

- Tolbert, K. (2018, May 08). He searched for his Japanese birth mother. He found her - and the restaurant she had named after him. Retrieved November 27, 2018, from https://www.washingtonpost.com/news/inspired-life/wp/2018/05/08/he-searched-for-hisjapanese-birth-mother-he-found-her-and-the-restaurant-she-had-named-afterhim/?utm_term=.d611104e29c0