母国のことを知らないということに気づき、学び始めることにした

最近ふと気づいたことがあるので、書き残しておこうと思う。わたしは19歳まで日本で生まれ育ち、23歳から24歳の途中まで東京で働いていた。自分は日本人だけど、最近は自分が自信を持って日本におけるgeneralな事情を語ることができないことに気づいた。

こういうことを言うとまたなんかバッシングが飛んできそうな気がするのだけど、まあ今の自分が自分をどう思うのかを正直に書こうと思う。

わたしは国際教育専攻で、世界中の教育問題とかをgeneralなセオリーに当てはめながら考えるような授業を2つとっている。留学生はそこそこいる。そんな留学生たちの姿を見ていて思った。彼女たちは自分の国のことにおける問題や事情について細かく観察しており、そして意見をきちんと述べることができるということだ。

わたしは日本のことを彼女たちと同じレベルで語ることができるのか?ということを考えた時に、無理があるなということに気づいた。

わたしはもともと母国のことにそこまで関心がなかった。学部のときはジャーナリズムや公民権運動のクラスで、アメリカのことを知らないとfailするような環境下だったので、アメリカの事情ばかり知ることに必死だった。アメリカの政治や歴史や会社やメディアや教育制度などなど。アメリカ人のperspectiveを知るのにも必死だった。だからブログやTwitterでも留学先のことを勉強したほうがいいと言い続けてきた。

たしかにあの時にアメリカのことを自力でいろいろと学んだから、アメリカの大学でアメリカのことを勉強するのは苦ではないし、普通のことになってきた。だけど今、アメリカはもちろんのこと、世界各国の視点を話せるようにならないといけない状況下では、自分の母国のことを話せないというのは致命傷である。

自分が経験してきた分の話ならもちろんできるのだけど、それ以外のことはi have no idea状態。こないだは地方と都会の教育の格差についての授業があったけど、suburbanでもまあヤンキーがいますよみたいなエリア出身としては、都会やもっと地方の事情はわからない。地域によっていろいろと事情が異なるだろう。ああわたしは本当に知らないんだなという事実を前面に突きつけられた。

なぜここでショックを受けているのかというのは、最近は母国の日本に目を向け、興味を持つ機会が何度かあったからである。その機会というのは主に2つある。

1つ目は中国人学生と関わる機会が多いことだ。NYUは中国人学生が多い。学部も修士も多い。彼らを見ながら、なぜアメリカにおいて中国人の存在感がここまで大きいのかと疑問に思った。日本人も中国人と同じくらいの存在感を持つことはできないのだろうか。中国はすごい力がある国だけど、アメリカにおける中国人学生を見ていたらそれもなんだか納得だった。

そのようなことを思っている時に、ボストンでMITやハーバードの学生やボストンで働く日本人のクラブのパーティに連れて行ってもらったことがあった。そこでハーバードで研究員として働く年配の日本人女性に出会った。彼女はもともとNYCで弁護士としてバリバリ働いていたそうで、今は日本人留学生を増やすための研究?をしているとおっしゃっていた。ハーバードやMIT界隈では、日本の高校生をボストンに送って、キャンパスツアーなどをする取り組みをしているそうだった。このような取り組み、知らなかった。素晴らしいと思った。

またお仕事で日本の大学生をNYで迎えることがあった。NYでの研修は学生の今後の将来にどんな影響を及ぼすのかということも考えた。

そこでわたしは自分がこれまでたどってきた道筋を思い返してみた。わたしもかつてはアメリカの大学に行くなど全く視野になかった高校生だった。でもアメリカで修士を取得した恩師との出会いや、短期留学で人生が変わった。人生はうまくいかないことだらけだけど、アメリカ留学をする機会をいただけたことはわたしにとってとても大きなターニングポイントになっていると思う。わたしと同様のことを考える正規留学経験者は多いと思う。

これらの機会から、中国人学生のようにまでは難しいけど、少しでも日本人のプレゼンスを高める、留学生を増やす、ということに興味関心が出てきた。留学は多くの日本人や日本社会にプラスの影響をもたらすはずである。

だから日本の事情について無知なことにすごい焦りを感じている。で、今はsociology in educationの観点からこのことについて考えたいという気持ちが強くなってきた。

学生の家庭環境、教育環境、周りに海外で教育を受けた人はどのくらいいるのか、またはそういう人に出会えるのかなど。留学ができたあとのカルチャーショックにもこれらのポイントは関わってくると思う。もう少しいろいろなデータや論文、本に触れながら、体型的に語れるようにならないとなあと思う。

americanmatatabi.hatenablog.com

とまあ最近はこんなことを考えています。