「アジア人とか日本人らしくない」という偏見

最近ずっと悩んでいるというか、まあ気になっていることがある。

よくわたしは「日本人らしくない」「その服はアジアっぽい」とか言われることが多い。そのようなことを言われるたびにイラっとする。「日本の方はやはり◯◯ですよね」というように、日本人はこうであって当たり前なのだみたいなことを現地の見ず知らずの日本人の人から言われた時も、イラっとした。

自分の行動や考え方に対してまず人種や国籍のラベルを貼られるのが非常に不快である。わたしはわたしである。自分は日本人だし、日本で生まれ育った。でも好みや生活習慣が必ずしも日本人のステレオタイプにはまるとは限らない。

よく言われるのは、シャワーとかお米のとか生卵の話。

わたしは1年のうちで2-3回くらいしか湯船に浸からない。これは昔からの習慣である。母親があまりお湯をはらないタイプの人だったし、わたしは5分以上お風呂に浸かっているとのぼせてくるので基本はシャワー。NYCでアパートを探していたときに、「日本の方はやはり広いお風呂が良いですよね」といきなり言われて、なんかアレ?と思った。わたしという人間の好みよりも、まずは「日本人」というラベルで会話が進むことに戸惑いを覚えた。

あとわたしは自分の主張をするので、こちらの男性何人かに「日本人っておとなしいイメージ。君は日本人らしくない」と言われたこともかつてあった(もうその人たちとは会っていない)。なんかその人たちがおとなしい日本人を求めていた、ような感じがしてしまい、自分自身の存在がネガティブな影響を与えたような気がしてしまった。

ただ「君は自分の意見を持っているね」とだけ言われればいいだけの話なのに、そこに「日本人」というラベルがくっついてくることに強烈な違和感を感じてしまった。

らしい、らしくない、という話をするのは、こういう経験からとても苦手なのである。らしい像にはまっていないとダメだ、なんか嫌だ、みたいに言われるような気がしてしまって、自分自身の個性とか、考えを否定されているような気分になる。だいたい日本人らしくないって言われて、自分が好きなものとかを話しても会話は続かない。だから日本人やアジア人というラベルではなく、わたし個人を見てくれる人との方が仲良くなりやすいし、話をしていて楽である。

もしかしたら、わたしも知らず知らずのうちに他の人に同じことをしてしまっているのかもしれない。でも自分自身の中でこの問題が大きくなってきてからは、あなたは何人だから、と言うよりもその人個人の話題にしようと会話の中で強く意識をするようになった。